2025年03月18日

第572話 社会を変えた男達(5)

ジャッキー・ロビンソンは自分を守ってくれる白人球団社長のリッキーや家族、自分に続くであろう同胞の黒人(有色人)選手のため、脅しや殺害予告にも耐え続けた。

 

 ロビンソンが入団した年のロイヤルズはリーグ優勝を果たし、球団史上最多の八十万人の観客も動員することができた。

 

 この時、ロビンソンとのプレーを嫌がる白人チームメイトは皆無だった。差別を続けた白人の観客も、結局はロビンソンのパワーとスピードを兼ね備えた野球に期待していたのだった。

 

 昭和二十二年、ブルックリン・ドジャースはジャッキー・ロビンソンをメジャーリーグに昇格させることを発表した。

 

 四月十五日。米国野球の歴史を変える開幕戦。球場には二万七千人余りの観客が押し寄せた。その半数以上の一万四千人がロビンソン見たさに集まった黒人の観客だったという。

 

 時計の針の少しだけ戻す。開幕戦を控えた春の球団のオーナー会議ではドジャースを除く全ての球団がロビンソンがメジャーリーグでプレイすることに反対した。

 

フィラデルフィア・フィリーズはロビンソンを出場させるならドジャース戦を拒否すると通告した。

 

 セントルイス・カージナルスはスター選手達が中心となってストライキを扇動した。

 

 これに対してメジャーリーグのコミッショナーは、黒人選手を保持するドジャース球団を支持し、リーグの会長はドジャース戦を拒否したらいかなる選手も出場停止処分を課すと発表した。

 

 ブルックリン・ドジャース監督のレオ・ドローチャーは開幕前

に語った。

 

「自分は選手の肌が黄色であろうと黒であろうと構わない。自分はこのチームの監督である。優秀な選手であれば使う。もし自分に反対する者がいたら、チームを出て行ってほしい」

 

 ロビンソンを取り巻く世間の目は、彼がマイナーリーグで大活躍したことによって確実に変化していった。勿論それはロビンソンにとって嬉しい変化であった。

 

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2025年03月10日

第571話 社会を変えた男達(4)

 ブルックリン(現・ロサンゼルス)・ドジャースの球団社長であったリッキーは、入団交渉の際、ジャッキー・ロビンソンにわざと罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせたという。ここでロビンソンが癇癪(かんしゃく)を起こし問題を起こすようなら、彼の獲得は諦める覚悟だった。

 

 だが、ロビンソンは冷静に訊ねた。

 

「あなたは弱虫の選手がお望みなのですか?」

 

 リッキーは答えた。

 

「いや、反撃しない勇気を持つ者が欲しかっただけだ」

 

 そして契約は無事に締結された。契約金は三千五百ドル(約四十万円)、月給六百ドル(約七万円)だった。昭和二十年のことである。

 

 ロビンソンは、ドジャースの傘下であるモントリオール・ロイヤルズへ送り込まれた。ここで実力を発揮できなければメジャーリーグへの挑戦権は絶たれてしまう。

 

 入団に際し球団社長のリッキーが言った。

 

「君はこれまで誰もやったことのない困難な戦いを始めなければならない。その戦いに勝つには、君は偉大なプレーヤーであるばかりか、立派な紳士でなければならない。何があっても、何を言われても仕返しをしない勇気を持つんだ」

 

 言い終わるとリッキーは突然ロビンソンの右頬を殴った。

 

 ロビンソンはここでも沈着冷静に、頬はもう一つありますよ、リッキー、ご存じですか?と答えた(作話説あり)。

 

 翌年春のオープン戦。米国南部地区では白人と黒人が一緒にスポーツをおこなうことを禁止する条例があり、ロビンソンの所属するロイヤルズは数試合が中止に追い込まれた。ロイヤルズに所属する多くの白人選手もロビンソンとチームメイトになることを拒否した。球団社長・リッキーはその都度、ロビンソンを拒否する白人選手に退団(解雇)を迫ったという。

 

 マイナーリーグの公式戦がスタートすると、リッキーの懸念と心配は的中する。ロビンソンは遠征の先々で野次や嫌がらせ、時には殺害予告も受けた。

 

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2025年03月03日

第570話 社会を変えた男達(3)

メジャーリーグ全三十球団が共に永久欠番「四十二」を決定した選手の名は「ジャッキー・ロビンソン」という。

 

 ロビンソンは昭和二十年、ロサンゼルス(当時・ブルックリン)・ドジャースのオーナーにスカウトされマイナーリーグの選手となり、昭和二十二年にメジャーリーガーとしてデビューした史上初の黒人選手(白人以外の野球選手)である。

 

 第二次世界大戦後の時代、米国の人種差別は激しいもので、学校、バス、トイレ、ホテル、レストラン、ありとあらゆる場所が「ホワイト(白人専用)」と「カラード(有色人種用)」に分かれていた。

 

 黒人やアジア人が「ホワイト」の施設を使おうなら、逮捕、暴行、暴言が待ち構えていた。特に白人特有な男気(西部劇のジョン・ウエインみたいな)を美徳としていた当時のメジャーリーガー達は、有色人種への差別(インディアンを無差別に殺害していく映画みたいな)は一般人よりも強かった。

 

 メジャーリーグが発足した時から、有色人(黒人)選手の登録を禁止する規則はなかったものの、球団オーナー間の「紳士協定」によって黒人は締め出されていた。

 

 代わりに黒人選手だけが所属する「ニグロリーグ」というものがあり、実力はメジャーリーガー以上と言われていた。

 

 ブルックリン・ドジャースは、純粋にチームの戦力向上を目標とするため黒人選手に目をつけた。

 

 しかし、当時の社会情勢を考慮すると、最高の黒人選手と契約する、という単純な話にはならず、入団後に受けるであろう様々な差別や嫌がらせに負けない精神力を持っている選手をスカウトする必要があった。多くの苦難に耐えきれず、怒りによる暴力や暴言、暴動を黒人選手が起こせば、二度と黒人(有色人)がメジャーリーグでプレーする機会がなくなってしまう。

 

 野球選手としての能力に加え高い人間性と知力、そして忍耐力を兼ね備えている黒人を捜し求めた結果、ドジャースはジャッキー・ロビンソンに行き着いた。

 

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