2021年06月14日

第391話「キャット 豪徳寺(最終話)」

大老・井伊直弼の元に実施された「安政の大獄」によって、吉田松陰も幕府の政策を脅かす危険人物とされ、主宰していた松下村塾は閉塾、本人は三度、投獄となった。

 

 安政六年十月、江戸・伝馬町の獄舎で松蔭は斬首された。享年三十歳だった。

 

 処刑から四年後、松下村塾の塾生だった高杉晋作、伊藤博文達の手によって、吉田松陰の亡骸がある地に改葬された。

 

 ある地、とは現在の東京都世田谷区にある若林という地区である。

 

 なぜにこの地が選ばれたのか、というと、若林一帯は長州毛利藩・藩主の別邸があった場所なのである。

 

 時代が進んだ昭和五年には、吉田を祀った松陰神社が建てられた。この松陰神社、先程紹介した井伊直弼の墓地がある豪徳寺とは目と鼻の先である。

 

 井伊は彦根藩(滋賀県)の出で、吉田は長州藩(山口県)の出、まったく異なる地の出身だ。

 

 一人は死刑を宣告した者で、一人は死刑を宣告された側である。幕府側についた者と倒幕側についた者とはいえ、どちらも日本国の将来を憂いて命を賭した者同士である。

 

 そんな二人が何の因果か、墓石の場所が同じ駅で、あろうことかこの地域の観光案内図には、豪徳寺から松陰神社に向かうのがお勧めコースにまでなっている。縁とは正に異なものである。

 

 鷹狩りの帰り。豪徳寺の前を通った井伊直孝は、寺の境内から手招きをする飼い猫に目が止まる。気になった直孝は、猫の側で一休みすることにした。

 

 間もなくすると雲行きが怪しくなり、やがて雷雨となった。直孝は猫のお陰で雨に濡れずに済んだと喜んだ。直孝はこれが縁で豪徳寺を井伊家の菩提寺にしたという。

 

 果たしてこの猫、「安政の大獄」で、直孝の子孫と吉田松陰が因縁の間柄となり、間近に墓石を建て合うことになるのも承知だったのだろうか?

 

posted by 北町ことら at 12:30| Comment(0) | 日記

2021年06月07日

第390話「キャット 豪徳寺(2)」

前回説明の通り、ここ豪徳寺(ごうとくじ)は彦根藩主であった井伊家の菩提寺である。

 

 一般の墓地の前には立ち入り禁止の立て看板があるが、井伊家の墓地については誰でも自由に入ることができる(しかし、観光客や参拝客の大半は見向きもしない)。

 

 井伊家の名が国中に広まったのは、井伊家二十四代の直政(なおまさ・大河ドラマになった井伊直虎(なおとら)の父、井伊直盛(なおもり)の従兄弟である直親の長男)の活躍によるものが多い。

 

 直政は御年十五歳で徳川家康に仕えた後、関ヶ原の戦いでは自らが先鋒を務め、東軍の勝利に貢献した。

 

 江戸幕府が開かれた後、直政は近江国を中心(今川家、織田家等が統治していた重要地域)に十八万石を与えられ、初代藩主として彦根藩を作り上げた。息子の直孝(なおたか)も大坂夏の陣で活躍し、井伊家の石高は三十万石(この時、江戸・世田谷の藩主となる)を超えた。ここにおいて井伊家は譜代大名の筆頭格となった。

 

 以後、幕末まで井伊家は徳川幕府の要人として徴用され、時には大老職に就き政の指揮を執る立場となった。

 

 無論、そこには、幕末の大事件、「桜田門外の変」で暗殺された井伊直弼(なおすけ)の墓もある。

 

 安政元年(一八五四)三月、吉田松陰(よしだ しょういん)は、伊豆下田に停泊していた米国軍艦を利用して海外渡航を企てた。鎖国が敷かれていたこの時期、外国へ出向くことは御法度にして重罪。

 

 残念ながら松蔭の渡航計画は頓挫する。これにより松蔭は江戸小伝馬町の牢獄に捕らえられた。

 

 その後、故郷である長州・萩に送られ、再び牢獄生活を経て一年後に釈放された。松蔭は実家で謹慎生活を送り、やがてかの「松下村塾」を主宰する。

 

 安政五年、時の大老は井伊直弼。その年の六月、直弼は日米通商条約に調印した。しかし、これに反対する者が後を絶たず、直弼はこの者達を容赦なく投獄し、罰していった。世に言う「安政の大獄」である。

 

posted by 北町ことら at 08:38| Comment(0) | 日記

2021年05月31日

第389話「キャット 豪徳寺(1)」

歌舞伎役者・中村芝翫(しかん)(三代目・中村橋之助改め)の奥様である女優・三田寛子(みた ひろこ)が主演した映画(昭和六十二年初上映)に「LET'S 豪徳寺(ごうとくじ)」という作品がある。元々は月刊漫画雑誌に掲載された恋愛コメディ漫画だ。

 

 作品のストーリーは、豪徳寺家という裕福な女性一族と、そのお屋敷にお手伝いとして雇われた主人公を取り巻く日常が描かれたものである。

 

 で、今回の話題となる「豪徳寺」は、この漫画とは一切関係ない。東京から神奈川を走る私鉄・小田急線の「豪徳寺駅」から程無いお寺である。

 

 寛永十年(一六三三年)、ここ世田谷の地が彦根藩領となったことで、このお寺が井伊家の江戸・菩提寺となる。以後、寺の名前を藩主・井伊直孝の法号であった「豪徳」の字を用い豪徳寺とした。

 

 関ヶ原の戦いでは東軍(家康軍)の軍監として活躍した戦国武将・井伊直政の次男であった直孝は、飼い猫によって豪徳寺へ招き入れられたという伝説がある。それ以後、猫の手招きが豪徳寺の隆盛に結びついたとされ、寺は招猫堂を建立して祀った。

 

 この話が現代でも人気の「招き猫」や滋賀県彦根市のゆるキャラ「ひこにゃん」の由来となっている(諸説有り)。

 

 この招猫堂は、豪徳寺を訪れる参拝客の最大観光スポットとなっている。インターネットで世界各地に拡散したせいか、参拝に訪れるのは日本人より外国人の方が多い。

 

 この招猫堂、大小の招き猫がそれこそ無数に納められており、初めて見た者はその光景に圧倒させる。見方によっては不気味な印象に襲われるかもしれない。海外の観光客は、大量に陳列された招き猫を前に記念写真を撮影することに余念がない。

 

 残念なのは、招猫堂を見学しただけで帰る外国人観光者が大多数で、本堂に向かう参拝客が少ないという事実だ。本末転倒の観光客には、日本人も含まれており、その行動も一緒で、シャッターを押すだけでそそくさとお寺を後にする。

 

posted by 北町ことら at 11:15| Comment(0) | 日記