2022年09月26日

第448話「ある皇太子の物語(2)」

 唐で仏教を学べないことを知った高岳親王は、やっと辿り着いた異国の地を後にする決心をした。

 

 目指は天竺(インド)である。貞観七年(八六五年)、唐の皇帝から勅許(ちょっきょ)を得た親王一行は広州から海路で天竺に向かった。

 

  しかし、高岳親王一行の乗った船は、その後、忽然と姿をくらましてしまう。大海原で遭難し命を落としたということなのだろう。

 

 一説では羅越(らえつ)国(現在のマレーシア)に流れ着き、彼の地で薨去したとも言われている。

 

 フランス文学者・澁澤龍彦(しぶさわ たつひこ)は、晩年「高丘親王航海記」という作品で唐国から羅越国までの旅を幻想的に描いた。

 

 二人の僧・安展と円覚、エロティシズム漂う中性的な青年(実は美少女)・秋丸を従えた旅は、大人版の「西遊記」といったイメージだ。

 

 盤盤(ばんばん)国では親王が毎夜、獏に夢を食べられてしまい体力がどんどん落ちてゆく危機に見舞われてしまう。

 

 鏡湖(きょうこ)国に住む女性は雷鳴によって卵を孕み、産み育てる。まるで鳥のようなイメージで、漫画家・手塚治虫(てづか おさむ)の「火の鳥」を彷彿とさせる。

 

 秋丸にそっくりな少女、春丸が現れこう告げる。

 

「この国の海の湖面に姿を映してご覧なさい。万一、姿が映らぬ者は一年以内に命を落とすと言われております」

 

 親王は自らの姿を湖面に映してみるが、自身の姿は少しも浮かび上がってこない。誰にもそれを悟られぬよう湖面から離れながら親王は、己の生の終着点が間近であることを心に刻んだ。

 

 ある日、親王は真珠採りの男達から献上された真珠を海賊船に襲われ奪い取られそうになる。慌てた親王は真珠を飲み込んでしまう。この真珠が親王の喉に貼り付き、結局それが原因で命を落としてしまうことになる。命尽きた高岳親王は虎に食べられ、虎と共に天竺に辿り着くことになる。数奇な運命を辿った皇太子の悲しき物語である。

 

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2022年09月20日

第447話「ある皇太子の物語(1)」

 大同五年(八一〇年)は、平城天皇(へいぜいてんのう)が譲位し、弟である嵯峨天皇が即位した翌年になる。この年、嵯峨天皇と上皇の間でクーデター未遂事件が起きる。世に言う「薬子(くすこ)の変」がこれである。

 

 これにより平城天皇の息子で、皇太子であった高岳親王(たかおかしんのう)(甥に伊勢物語の主人公と言われる在原業平(ありわらのなりひら)がいる)が廃太子となった。

 

 高岳親王は弘仁十三年(八二二年)、「薬子の変」において主導的役割はしていなかったため名誉回復となるも、本人は出家し真如(しんにょ)という法名を与えられた。

 

 親王は興福寺の高僧・修円(しゅうえん)や空海(弘法大師)の弟子として修行を続けた。真如こと高岳親王は、弘法大師の十大弟子の一人にまで自らを高め、阿闍梨(あじゃり)の位を受け高野山に親王院を開いた。承和二年(八三五年)に空海が亡くなった際は、遺骸の埋葬にも立ち会っている。

 

 その後、東大寺大仏の仏頭が地震で落ちた時は、東大寺大仏司検校(けんぎょう)に任じられ修理をおこなっている。

 

 貞観三年(八六一年)、高岳親王六十歳の時、彼は一大決心をした。求法(ぐほう)(仏の教えを求めること。悟りの道を願い求めること)のため長安へ向かいたいと朝廷に願い出たのである。

 

 当時の六十歳と言えば、相当の高齢である。今の時代なら八十代中頃といったところだろうか。そんな年齢で、危なっかしい商船に乗船し、未熟な航海術しかない時代の大海を渡ろうというのである。無茶も休み休み言え、といった風で、親王は周囲から嘲笑されたに違いあるまい。

 

 しかし、高岳親王に迷いはなかった。貞観四年、親王を筆頭に二十三名の僧達は、商船に同船(本来なら遣唐使船を用いるところだが、この頃は遣唐使は送っていなかった)させてもらい太宰府の港を出発し、目的地・長安へ向かった。

 

 親王は翌年、無事に長安へ到着した。

 

 しかし、当時の唐国は仏教弾圧政策をおこなっており、親王が望むような優れた師に弟子入りすることはできなかった。

posted by 北町ことら at 10:40| Comment(0) | 日記

2022年09月12日

第446話「妖怪の息づく村(最終話)」

昭和時代、座敷わらしが住む緑風荘の当主であった五日市栄一氏が語ったエピソードがある。

 

 栄一氏が東京で大学生活を送っていたある年の夏、将来の身の振り方を相談するため実家の金田一温泉へ帰省した。栄一氏は一週間程の滞在中、生まれて初めて座敷わらしを見た。

 

 十八年間、緑風荘で育ったはずなのに一度も見掛けなかった座敷わらしを、栄一氏はいつしか作り話の妖怪と思い込むようになっていた。

 

「私が帰郷すると同級生四、五人が訪ねて来ました。座敷で飲んで解散したのは夜中の一時頃でした。当時、私は少しでも本を読まないと眠れない癖がついていました。薄暗い電灯を頼りに本を読んでいたら、枕元に人間のようなものが立っているのに気づきました。急に自分の身体が動かなくなり、しばらくして自由に動けるようになった途端、目の前の人間が見えなくなりました。

 

 幼少時代、爺さんが座敷わらしの話をしていましたが、それは明治の頃の話。昭和の今、そんな話は絶対ないと思っていました。

 

 それならさっきの幽霊みたいな正体を確かめようと、その部屋にずっと泊まることにしました。次の晩、夜中の二時頃でしょうか、例のものが出てきた。今度ははっきり見えました。子供です。男の子で白い着物を着て、おかっぱ頭。じっと立ったまま私のほうを見ていました。これは座敷わらしに違いない、私は思いました。それを三晩続けて見ました」

 

 それ以来、栄一氏は座敷わらしに関する文献や体験談を収集するようになった。

 

「私の体験した枕元に立つ不気味な座敷わらしは、他にいませんでした。一緒に晩ご飯を食べたり、家の子供達と鬼ごっこをしたり、実に生き生きした子供ばかりなのです」

 

 その家の守り神であるとか、座敷わらしが出た家の男の子は出世するであるとか、妖怪としては珍しい言い伝えのある座敷わらし。果たして座敷わらしは本当の妖怪か作り話か、勇気と興味のある方は、是非とも岩手県・金田一温泉郷に訪れてほしい。

posted by 北町ことら at 10:32| Comment(0) | 日記